日本人の原点はどこにあるのかを考える際に記紀神話は外せない。
記紀以外にも天地開闢、天地初発と言われる宇宙創生の物語が諸説存在する。そんな日本神話の序章について、どの説話が正しいのかと論じても答えは出ないため、参考にする書物を四点に絞り、比較しながら少し中身を見ていきたい。
我が国の正史とされる古事記、日本書紀に加え、偽書とされ禁書扱いも受けた先代旧事本紀、それに古語拾遺を加えて考察してみよう。
それぞれの天地開闢の章で登場する造化三神について原文を引用した。
神話と言っても実際の歴史に基づいて書かれており、事実と創作の境界が曖昧なところが日本神話の魅力である。本来の役割としては、皇室の正統性を示すものであり、古代日本で戦に敗れ歴史の敗者となった部族の痕跡は邪魔になることがあっただろう。そのため、歴史の書物には数々の隠蔽や改竄がなされている事が予測できるが、今回は日本人の原点であり万物のはじまりが造化三神であるというところに素直に着目したい。
なお日本書紀については、当時の有力氏族らの伝承を集めてそのまま組み合わせたような内容構成であるため、物語が諸説ある。ここでは、古事記に登場する造化三神に合わせるため、第四の一書を抜粋する。
先代旧事本紀については、造化三神が出揃うまでに他の神が多く成っているため、該当箇所のみ抜粋する。
「古事記」
天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神訓高下天、云阿麻。下效此、次高御產巢日神、次神產巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。
「日本書紀」
一書曰、天地初判、始有倶生之神、號國常立尊、次國狹槌尊。又曰、高天原所生神名、曰天御中主尊、次高皇産靈尊、次神皇産靈尊。皇産靈、此云美武須毗。
「先代旧事本紀」
天祖、天讓日天狹霧國禪月國狹霧尊。
一代、俱生天神。天御中主尊。亦云、天常立尊。可美葦芽彥舊尊。
二代、三代、四代、五代、六代、七代…
(中略)
其,高皇產靈尊…
(中略)
次,神皇產靈尊…(続く)
「古語拾遺」
又、天地割判之初、天中所生之神名曰、天御中主神次高皇産靈神(古語多賀美武須、比是皇親神留伎命)、次神産霊神(是皇親神留弥命、此神子天兒屋命、中臣朝臣祖)…(続く)
天御中主、高皇産靈、神皇産靈の順に成っていくことは共通だが、漢字の表記に多少の違いがある。
旧字体などの違いはあるものの、日本書紀と先代旧事本紀は表記が同じである。この点に真実が隠れているように思えてならない。
日本書紀はその編纂方法のおかげで物語の内容には手が加えられていない可能性が高く、禁書となっていた先代旧事本紀は、正しいからこそ隠され偽書扱いを受けていたのではないかと思われる。
よって日本書紀と先代旧事本紀は事実が記されている可能性が高いと考えられるが、事実の確認は出来ないため憶測の域を超えない。
古代日本人は物事に大和言葉の四十八音を当て、様々なものを一音で表現し認識していた。
また、古事記上巻の神話には、五十音の成り立ちと五十音の働きを、アマテラス、ツクヨミ、スサノオが生まれるまでの百柱の神々によって物語に暗号的に表されているという説がある。
それらは言霊学で研究され、音義説という理論が確立されている。
多様な魅力を包括している日本神話だが、言霊学、音義説に基づいて造化三神の音義を確認していきたい。
天御中主、高皇産靈、神皇産靈は「アマノミナカヌシ」「タカミムスヒ」「カムミムスヒ」という発音が本来の正しい音ではないかと考えている。
しかし残念なことに、天御中主と神皇産靈は「アメノミナカヌシ」「カミムスヒ」と一般的には発音されている。
それだと本来の性質と違ってしまう。理由は音義を確認することで明確になる。
造化三神の音一つ一つを読み解いていくと次のようになる。
「ア」は開放、広がりなどの意味があり、「マ」は真理、時間と空間、天、「ノ」は接続、継続、「ミ」は本質的、優しさ、水、「ナ」は調和、和やか、「カ」は幽玄さ、奥深さ、「ヌ」は一様、沼、主、「シ」は静粛、滴、統一などの意味がある。「アマ」は時空の広がり、まさに宇宙を言い表している。
続いて、「タ」は高く顕れ多く広がるという意味があり、「カ」と「ミ」は先に紹介したので省略する。「ム」は内なる発酵や増殖、「ス」は先鋭、突出、占有、「ヒ」は氣の力やエネルギーなどの意味がある。
仮に、発音がア"メ"ノミナカヌシであれば、「マ」→「メ」に音の性質が変わり、天御中主の性質が変化する。
メは愛でる、女、芽などの意味に通じており、芽であればまだ納得感はあるが、「マ」か「メ」どちらが根元の神に相応しいかは一目瞭然であろう。
また、カムミムスヒの「ム」が抜けてカミムスヒになると、タカミムスヒと対をなすムスヒの神の存在としてはバランスが取れなくなる。
劣化版とまでは言わないが、単純にタカミムスヒという神から「タ」の音が抜けただけの存在になってしまう。
もちろん文字数が違うと対にならないわけでもなく言霊が全てではないのだが、言霊と密接に関連している古事記の物語であれば、編纂者が拘るべきところではないだろうか。
正しくは「カムミムスヒ」であり、「ム」の音がこの神にとって重要なのだ。
恐らくは発音の都合上、「ム」音は省略されるようになったのだろう。
そもそも"神"の語源はアイヌ語のカムイだとする説があるが、その説が正しいならば、カムイが鈍り「カミ」と発音するようになったのではないだろうか。
神道の大祓詞や禊祓祝詞では「高天原に神留り坐す(皇親)神漏岐(かむろぎ) 神漏美命(かむろみのみこと)以ちて…」という風に奏上するが、"神"は「カム」と発音する。他にも「神議(はか)りに」「神問はしに」「神掃ひに」などは「カム」と発音する。
対して「神」単体や「八百萬󠄄神」「天津つ神」「国つ神」などは「カミ」と発音する。
その言葉の法則性を考えてみると、単語の頭に「神」が付く場合、基本的には「カム」と発音し、「神」単体や後に付く場合には「カミ」と発音することが分かる。
「カミロギ、カミロミ」と唱えるような祝詞を聞いたことが無いし、「アマテラスオオミカム、ヤホヨロズノカム」というような発音も聞いたことが無い。
という事は、この法則性に従うならば神皇産靈は「カムミムスヒ」と発音するのが正しい。
「カミムスヒ」でも「カミミムスヒ」でも法則から外れてしまうことになる。
以上のような理由によって、天御中主は「アマノミナカヌシ」、高皇産靈(タカミムスヒ)、神皇産靈は「カムミムスヒ」という発音が正しいのだ。
天御中主は宇宙の根源であり中心である故に、大日如来と神仏習合され同一と考えられている。天体の動かぬ中心である北極星を神格化した妙見信仰では、北極星を天御中主と同一視しており、妙見大菩薩という菩薩の中でも唯一"大"と名付けられた仏となって信仰されている。
高皇産靈、神皇産靈はムスヒの神で生成発展の働きをしており、それぞれが陰陽の役割を果たしている。天御中主を中心に置き、産靈の二神と合わせた三神で「中心陰陽」即ち宇宙の真理を表している。
"皇"という字は王を表すが、"王"は複数存在するのに対し、"皇"は唯一無二の存在である。昔は「天子」とも呼ばれていた。聖徳太子が「日出処の天子」と名乗り、隋の皇帝に手紙を送り怒らせた話は有名だ。
そして「皇産靈」という字(おう・むす・ひ)からは、日本食の元祖とも言える「おむすび」が連想される。
「おむすび」について起源を辿ってみると非常に興味深い。おむすびは三角形をしているが、もともとは現在の盛り塩の様に山型をしており、神の霊力を授かるために食べられていたという説や、神への捧げ物だったという説がある。その神とは、万物の産みの神「産靈の神」である。
丸い形の握り飯は源氏物語の中で初めて登場した「屯食(とんじき)」と呼ばれるものがそれに当たる。
呼び方については「おむすび」と「おにぎり」の二通りが存在する。「おにぎり」は武士の携帯食であった握り飯という言葉に「お」がつき女性名詞化して「おにぎり」と呼ばれる様になったという説が有力だ。
つまり「おにぎり」は人間の食料としての握り飯であり、「おむすび」は産靈の神と繋がるための握り飯なのである。
造化三神と「おむすび」が原点を辿っていく中で交わり、中心陰陽の図案を「おむすび」型にすると、中心の点である「天御中主」がだんだんと梅に見えてくる。
そう捉えると陰が海苔、陽がご飯の「梅おむすび」になる。
高皇産靈の「タ」は高く顕れ多く広がる 意味があり、田や民にも通じることから米に繋がる。
神皇産靈の「ム」は内なる発酵、増殖という意味があり、蒸す、ムスヒ、ムラに通じている。海で増殖していく海苔の性質と見ることもできる。
このように、力を広げていく「ム」と力を蓄え強化していく「カ」の音で成り立っているムスヒの二神は言靈的にも「おむすび」を連想するような意味を含んでいる。
ちなみに具材を変えると...
この様にどんな具材にも合わせられ、毎日食べても飽きないことが、普遍性、永続性、調和を象徴している。
それが「おむすび」である。
「おむすび」に誇りを持ち、その特質で世を包み込んでいくことこそ日本人の役割なのかもしれない...
そういった経緯で、この「おむすびロゴ」が誕生した。
和の情の定義については別に機会に述べたいと思う。