2021年は丑年。次に来るのは12年後。
私も丑年生まれの年男であり、丑には縁が深い。
かの南方熊楠は、「十二支考」という十二支の動物についての論考を多様な視点でまとめあげ、膨大な情報を残しているが、牛に関しては発表されておらず、事実上「十一支考」となっている。
グベルナティスの動物神話学を参考にまとめあげられていたらしいが、牛に関しては情報量が膨大すぎて、それ以外からの情報をまとめあげようとしていたが、出てきたのはメモだけであったらしい。
それが実際の理由であるかどうかはさておき、兎にも角にも「丑(牛)」についての論考はないのである。
そこで、丑について独自の考察をここに残しておきたい。情報収集不足で既に既出の内容もあるかもしれないが、おそらくは他には無いだろうと自負している。
まずは牛について、関わりあるものをいくつか列挙してみよう。
丑年の守護本尊は虚空蔵菩薩であり、諸説あるが守護神将は伐折羅(ばさら)大将という。
宋の時代の中国の禅の入門書に十牛図というものがあり、絵と詩で悟りへ至るための流れが記されている。
今は無くなったが、牛頭山を本拠地とする牛頭宗という禅宗があり、牛頭(ごず)禅と呼ばれていたらしい。
牛頭つながりで、日本で有名なのは牛頭天王。素戔嗚と神仏習合され、京都の八坂神社に祀られている。名前の由来は、法華経に登場する牛頭栴檀(ごずせんだん)からきているそうだ。本地仏を薬師如来とする。
仏教の開祖、ゴータマ・シッダールタの名前であるゴータマは、パーリ語で最も良い牛という意味があり、シッダールタに達する者という意味がある。
と言うことは、お釈迦者まは「A5ランクの焼肉を食べ切った人」?笑
大本教では記紀などに登場するクニトコタチと同一視される艮の金神。久遠国という夜叉国の王であり、巨旦大王の精魂だとも言われている。夜叉とは鬼神の類であり、仏に帰依し密教に取り込まれたものは神として曼陀羅にも登場する。守護神将の伐折羅大将も、もともとは夜叉であった。
巨旦大王の精魂の抜けた屍は牛頭天王によって5つに引き裂かれ、五節句に合わせて祭ったそうで、そこから節句の食べ物が定まった。
イスラム教の聖典であるコーランは、百数十節あるうちの序盤、第二章のタイトルが「雌牛」となっている。前生の中で最も長い章であるが、牛の記述は思いの外少なく、生贄に捧げる金の牛について書かれている程度。旧約聖書のモーセ、コーランではムーサーが髪のお告げを人々に伝える話に登場する。
昔は牛以外にも、虎や龍など、強そうな動物を男の子の名前に入れたり、生まれ年の動物を名前に入れたりすることが珍しくなかった。かの弁慶も生まれ年が丑年なので牛若丸と名付けられたという。
天満宮、天神さんと呼ばれ親しまれている菅原道真は、丑年生まれであったため、天神さんの使いとして神社に牛が置かれている。京都の北野天満宮では、牛の頭を撫でて自分の頭も撫でると賢くなると言われている。
西遊記やドラゴンボールに登場する牛魔王。原点は『二郎神醉射鎖魔鏡』という噛みそうな中国雑劇。九首牛魔羅王という登場人物が始まりであるとされている。
昔、陰陽師が土偶と土牛で流行病を払う「土牛童子」という呪いがあった。
彦星のことは牽牛と言い、北斗七星の柄杓型の二番目の星を巨門星と呼び丑年にあたる。二十八宿の牛宿は稲見星(いなみぼし)と言う。
牛の額にできる毛の塊を牛玉と言い、牛王とも呼ぶ。また、牛の腹中にできる胆石は漢方にも用いられ、牛黄と言う。
昔は交通手段として牛車が用いられ、畑を耕す際にも活躍する貴重な労働力であった。だからこそ、飢饉や流行病が起こって神頼みする際には、貴重な労働資源を生贄として差し出し、神に祈られていた。
牛の名前のついた植物もたくさんあり、牛蒡(ごぼう)、牛の額、牛草、牛膝(いのこづち)など、挙げるとキリがなくなりそうだ。
また、牛の名前のついた地名もたくさんあり、牛瀧、牛久など、こちらも探せばキリがなさそうである。
今回は、最初に挙げた丑年の守本尊「虚空蔵菩薩」について詳しく見てみよう。
虚空蔵菩薩は、ウィキペディアでは「虚空蔵」はアーカーシャガルバ(「虚空の母胎」の意)の漢訳で、虚空蔵菩薩とは広大な宇宙のような無限の智恵と慈悲を持った菩薩、という意味である。 そのため智恵や知識、記憶といった面での利益をもたらす菩薩として信仰される。
と出てくる。
虚空蔵は無尽蔵の知恵の宝庫であり、あらゆる記憶が蓄積される阿頼耶識のような働きがあり、ゆえに無限の智慧が蓄積されていると思われる。サンスクリットで虚空をアーカーシャと言い、蔵はガルバ。
ちなみに地蔵菩薩はクシティ・ガルバといい、地の蔵を表している。
地にしても虚空にしても、共にその蔵の守神のような存在なのだろう。
だからこそ、虚空蔵菩薩の持っている剣は鍵であるとも言われている。
また、京都の東寺や神護寺にあるような「五大虚空蔵菩薩」というものがある。
これは、金剛界五智如来の変化身とされており、五つの智慧を司っている。
即ち、虚空蔵菩薩は金剛界五智如来と同等の働きを持っており、五大虚空蔵菩薩の真言は「バン・ウン・タラク・キリク・アク」と言う。
これは金剛界五智如来を表す梵字と一致する。
バン=大日如来
ウン=阿閦如来
タラク=宝生如来
キリク=阿弥陀如来
アク=不空成就如来
金剛界五智と「和の情」についてはこちらにまとめてある。
「和の情」とは
ゆえに、丑年と「和の情」は密接に関連していると言えるだろう。
五大虚空蔵菩薩の各名称は次の通り、金剛界の五智如来と一致する。
法界虚空蔵(中央、白色)→法界体性智の大日如来(バン)
金剛虚空蔵(東方、黄色)→大円鏡智の阿閦如来(ウン)
宝光虚空蔵(南方、青色)→平等性智の宝生如来(タラク)
蓮華虚空蔵(西方、赤色)→妙観察智の阿弥陀如来(キリク)
業用虚空蔵(北方、黒紫色)→成所作智の不空成就如来(アク)
それぞれの配置などに関してはこちらの記事や下図を参考に。
曼陀羅と感性、直観の主(あるじ)
さらに、密教や修験道でよく唱えられる光明真言は、金剛界五智如来を表している。
光明真言
「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」
「オン」は冒頭に用いられる帰命するという意味の神聖な音である。
「アボキャ」は不空成就如来すなわち釈迦如来。
「ベイロシャノウ」は毘盧舎那如来すなわち大日如来。
「マカボダラ」は阿閦如来。
「マニ」は宝生如来
「ハンドマ」は阿弥陀如来を表している。
「ジンバラ」は光明、「ハラバリタヤ」は放ちたまえ、「ウン」は照破の意味を込めた結びの音を表す。
このように光明真言は、金剛界五智如来のそれぞれの功徳たる光を放ちたまえという意味を込めた強力な真言である。
以上をまとめると、丑年の守護本尊である虚空蔵菩薩、その五つの智慧を菩薩化した五大虚空蔵菩薩は金剛界五智如来の働きを表したものであり、光明真言にはその功徳が込められており、五智の働きは「和の情」にも通じているのである。